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もう、十分すぎるぐらい清志郎の死についてのファンの声、ブログ、コメントを見て聞いてきたから。
これについては書かないようにしようと思っていたけど。ちょっとだけ。
39才の俺は、RCの時代は先輩たちの時代だ。
だけど、俺には兄貴がいたからね。兄貴の部屋から繰り返して聞こえてきたEPLPというアルバム。
「なんて、変な歌い方なんだろう」「なんて、変な歌なんだろう」って思ったよね。きっと、俺と同じように、兄貴や姉貴が聞いていたRCに違和感を持ちながらも惹かれていった人は多いと思う。
「上を向いて歩こう」が最初に気に入った曲で、これが坂本九のあの歌を知る前に知ったから、昭和12年生まれのお袋がこの曲を普通に「知ってる」と言った時は、本当にたまげた。
お袋・・・RC知ってるのか!?ってね。
小学校の頃だったと思うけど、兄貴のEPLPをいつものように、CHFのテープに録音して、自分のもっていたお下がりのラジカセで、何度も聞いた。
アルバムの歌詞カードの裏面のRCのメンバーの化粧や格好にはビビった。
そして、RCが出るラジオなんかを録音したり、次に出た「BLUE」ってアルバムを買ったりした。だけど、彼らの動く姿を見ることはなかった。それをいつも見たいみたいと思っていて、結局見ることができたのが、「いけないルージュマジック」だった。
アレはシングルレコードを700円で買った。いけないルージュマジックのPVが北海道でも放映された。俺はお袋からカメラを借りて、テレビの写真を撮った。当時ビデオのある家はマレだったと思う。
そして、ラジカセで音を録音した。もちろんテレビのスピーカーに、ラジカセを近づけて音をとったんだ。
札幌の大通りの地下。不二家に隣接する「なにわ書房」で、宝島社から出版された「愛し合ってるかい?」という本を見つけた。店員さんに聞いて、さがしまくったら、1冊あった。本当にうれしかった。
だけど、金が足りなくて買えず、泣く泣く本棚に戻し、地下鉄とバスにのって家に帰り、引き出しにあった千円札を握りしめ、再びその日の内に、バスと地下鉄に乗ってなにわ書房に行き、わざと目立たぬようにおいておいたところから、「愛し合ってるかい?」を取り出し、買ったのさ。帰りは真っ暗だった。
あの本は、今読むとジョークばかりだったけど、俺はそれのほとんどを真に受けていた。BLUEを買って、俺もご多分に漏れず、多摩蘭坂に感銘を受け、何度も聞いた。小学生の頃いいと思った曲が今でも好きなナンバーだ。それはおそらくノスタルジーではなく、本当に好きな曲なんだ。
小学生の俺に金なぞほとんどない。RCのレコードは全部ほしかったけど、レコード屋でジャケットを見るだけで、がまんしていた。
レコード屋に行っては、RCのジャケットを見て、納得して帰るみたいな日々だ。
もちろん、RC以外にも好きなミュージシャンはいたから、買えない日々が続いた。貸しレコード屋はまだなかった頃だ。
やっと金がたまったら、俺はラプソディーやシングルマンを買わずに、「ハードフォークサクセション」という真っ赤なジャケットのアルバムを買った。このアルバムはRCのファーストアルバム「初期RCサクセション」とセカンドの「楽しい夕べ」からセレクトした、初期RCのアルバムだった。俺は中学1年生。
変な歌い方、変な曲・・・という第一印象だったEPLPの上を行く、変な曲ばかりだという第一印象だった。名前だけは知っていた「僕の好きな先生」や「キミかわいいね」なんかを聞いて、最初は幻滅した。
だけど、何度も聞いているうちに、とっても好きになった。本当に手づくり感のあるオリジナリティあふれたいい曲ばかりだ。
今はyoutubeで破廉ケンチのいる初期RCの動画さえ見ることができる。
クラスで「日隈くんの自転車の後ろにのりなよ」を歌ったら、めちゃくちゃウケた。友達にハードフォークサクセションのテープを録音してやった。
今でもいいと感じる。ノスタルジーじゃなくて、ホントにいいと思う。
不思議と俺が好な人はRCが好きな人が多い。
泉谷が言うように、俺もキヨシロウは反骨的な曲なんかじゃなくて、普遍的ないい曲を歌ってほしいと思っていた。俺がキヨシロウを聞かなくなったのも、社会問題をキヨシロウが歌うようになってからだ。
だけど、キヨシロウが死んでから、タイマーズのアルバム(これはCDでもっていた)を改めて聞くと、キヨシロウのメッセージがわかるんだ。
原子力発電所なんかいらない。
おおきな地震がきたら、みんなでまたやりなおせばいいんだ。
なにも、地球から未来永劫に生物を消し去ってしまうことはない。
藤子不二雄の「カンビュセスの籤」。
地下の奥深くに危険すぎるものを埋めてどーすんだい。
千年先のいたいけな子供が、いたずらにその扉に近づいたら、ケシ粒よりはるかに小さな大量の粒子が体を突き抜け、ゲロをはき、髪がぬけて、体の皮膚が焼け、東海村の作業員のように被爆してしまうかもしれないんだぜ。
軽薄なジャーナリズムに乗りたくない。
義理の母と最愛の娘二人を殺されたお父さんは、完璧に犯人のようだった。
あんなのアリかい。誰もが勘違いするような報道。
何の謝罪もなしか。
ブログに書いた女の子が芸能界を1年休むだと。彼女はちゃんと謝罪したじゃないか。
キヨシロウの言葉が、やたらと思い当たってしょうがない。
oh!Baby いいね。この曲は俺も一番好きな曲だ。
お弁当箱いいね。この曲も大好きだ。
多摩蘭坂、君が僕を知っている、わかってもらえるさ、スロバラ。やっぱりキヨシロウのバラードがいいね。
前の会社の頃、11月以降は地獄だったな。
9時頃、どうしても腹が減って、飯を食いに行った帰り道、
締切と大量の残務のプレッシャーの中、中学時代の感性がよみがえったな。
カーステから「ヒッピーへ捧ぐ」で、たまんなかった。
三拍子がいいんだね。
ずっとoh!Babyは大好きな曲だろうな。
たぶん三宅伸治もそうだろうな。
テーマ:お笑いを愛する人の日常日記 - ジャンル:お笑い
- 2009/05/13(水) 01:04:04|
- <哀笑>読み切りエッセイ(エッセイ)
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大人になってくると、
許せないことが、許せない奴が増えていくのはなぜだろう。
子供にはそれがない。
少ない。
共生とは自然の極意だ。
それは、感情で言うなら、「愛」
ゆるしてやろうぜ!
代々木忠と、
村西とおるのブログを読んでそんなふうにおもった。
- 2009/03/26(木) 23:47:47|
- 未分類
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一日一回しか出ない、
まっきっきのしょんべんに。
樽の氷水をのみほして、
こわいこわい午後の蒸し風呂。
あの床、天井。
バレーボールがはさまった、あの天井。
サロンパスのにおい。
サッシの溝にたまってた、
泥水タオルに含ませて、
赤ちゃんみたいに吸ったなら、
少しは元気が出るのかな。
なか日までは、まだまだあるから、
トランプやって眠るのさ。
先輩のリストバンド、
コインランドリーのドラムの死角に
へばりついていたからさ、
なぐられ、夜道の散歩道。
鼻血をだした俺たちが、
唄っていたのは長渕の
そこそこ流行った唄だった。
なんともない会話で、
死ぬほど笑ったっけ。
テーマ:お笑いを愛する人の日常日記 - ジャンル:お笑い
- 2009/03/18(水) 03:40:28|
- <喜怒哀>マイぽえむ(詩)
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北海道十勝には、広尾町というところがあって、森進一の歌「えりも岬」の東に位置する。
帯広から向かうと、広尾町の入り口に豊似という場所があり、そこに太四郎の森がある。
森人 泉さんの私有地で、十勝指折りの美しい森だ。
何が美しいのかというと、ハルニレ、イタヤカエデ等、十勝在来の湿性林が広がり、
春には、アズマイチゲ、カタクリ、シラネアオイ、ニリンソウ、オオバナノエンレイソウ
が一週間ごとに満開を向かえ、春の日差しが木々の木漏れ日になった林床に
白や紫のカーペットを敷き変えるところだ。

泉さんは今、一人で茅葺き屋根の家を建てている。
カヤというのは、ススキの別名だが、茅葺き屋根はススキにそっくりのヨシでつくられる。

1haぐらいですか?ヨシ刈ったの?と聞くと、
1haでは全然足りないとのこと。
数ヘクタールのヨシを刈り、運び、束にして、屋根を葺くというのは、とんでもなく大変な作業だが、
泉さんは一人でそれをしている。
いつも思うのだが、この人の美的センスとひたむきな努力には恐れ入る。
美は、自然のものを自然にフィットさせることだな。

豊似から広尾まで海沿いの直線道路を走った。
本州の人なら、このような直線道路をバイクで走りたいと思うんだろうなぁ。
だけど、僕はぐねぐねの細道が、シカの通り道のように山に張り付いている
本州の田舎の道の方がずっと趣があって好きだ。

途中の雪原にキタキツネが歩いていた。
冬のキツネはいい。毛がふさふさして、雪景色に映える。
夏のキツネは、濡れたネコのように痩せて見えて、野性的だ。

僕の車、平成6年のランクルだ。
もともと、僕が大好きだった造園会社の社長が乗っていた車だ。
泉さんもその社長も、自分の経験に基づいたことを言い、信じた。
仲間のRクンの家でコーヒーをごちそうになった。
僕らは天才なので、こんな不況の中でも、基本的に楽観的だ。
自信に満ちあふれているときも、自信を失っている時も、
そうさせるのは、自分の内なるものであり、外的なものではないことを知っているからだ。

広尾には、僕の高校時代の後輩の生家がある。
タバコが切れたので、酒屋を営むその生家に入ってみた。
僕の後輩がもしかしたら出てくるかもれないと、思ったけど、
中から出てきたのは、その後輩そっくりな若い店員さんだった。
その後輩K君は、182僂△詼佑茲蠅眤腓く、バスケのセンタープレーヤーとしてはめずらしく
しなやかな動きをするヤツだったが、その若い店員さんは、小柄だった。
でも顔がそっくりなので、きっと弟さんではないのだろうか。
タバコは扱っていないと、その弟と思われる人に言われた。
俺はK君の消息を聞きたかったが、あんまり金を持っていなかったので、
何も買わずに、何も聞けずに帰ってしまった。
こんどは、この店でお酒を買おうと思った。

K君はバスケの才能があり、体もバスケ向きだったのに、バスケ部をやめた。
広尾の田舎から、札幌に進学しに来たのだから、おそらく勉強一本にしようと思ったのだろう。
K君がバスケ部をやめて、成績が上がったかどうかは知らないけど、
一人ぼっちの下宿で、まだ幼い高校1年生は、いつも悩んでいたんだろうなぁ。
故郷の海を思いながら。

広尾の港で、海を眺めた。
僕は山育ちだから、海での体験は少ないんだけど、海がとても好きだ。
車から眺める海と、海辺に出て見る海では全く違う。
こんどは、釣りをしに来ようと思った。
広尾は太平洋と日高山脈がぶつかる場所だ。
ここにアイヌしか住んでいないころの原風景を見たい。
仕事で広尾に来たのだが、なんだか休日のドライブのように、自分の心はリラックスしていた。
苦をともなう行動。その裏にしか心の休日はないと思った。
- 2009/02/28(土) 15:12:44|
- <哀笑>読み切りエッセイ(エッセイ)
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自然が破壊された
自然は何も言わない。
自然を守った
自然は何も言わない。
- 2009/02/20(金) 02:25:10|
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Wエンジンの「ほれてまうやろー」っての。
アレ、とってもよくわかる。
だんだん飽きてきたから、ホントに好きなのに・・・的な展開にもっていけば、
もっといいのに・・・
でも、やっぱり俺の勘違いか・・・という謙虚さは持っていたい。
しっかし、どっかのブチハイエナの裏金を後ろから見たような、
くっさい、ゲロ爺が、あたかもモテるようなダンディニズムを匂わすほど、
情けないことはない。
俺も気をつけよう。
ところで、ハイエナの群のことを「クラン」ってゆーの知ってた?
ライオンの群を「プライド」ってゆーの。
オオカミの群れを「パック」ってゆーの。
大人は、金、金、金。
でもさ、子供のころの、ヒーローは違うよな。
足が速い、頭がいい、おもしろい、絵がうまい、字がうまい、ピアノがうまい、スポーツがうまい、ケンカが強い。
けっきょく、何の取り柄もない俺みたいな野郎はどうすればいいのかというと、いろいろ経験してみて、いい人間になることなのかな。
でも、やっぱり自分にピッタンコはまる何か、それは追求したいよね。
なんだろな。
金の世の中が終わりかけて、あとは人間性とか芸術性とか、そーゆー価値や評価が残るって。
これを言ってるのは、テレフォン人生相談でおなじみ、マドモアゼル愛先生が言ってる。
マドモアゼル愛のブログはオモシロイよ。マドモアゼル愛で検索だな。リンクははらね。
よく、ネットで、釣るとか、釣られるとかあるでしょ。
アレはおそらく、明らかに人の道から外れていることを、わざと言うことが釣るだな。
「そ、それは違うだろ!」ってなると釣られたぁ〜,わっはっはっははh!
コイツ、本当にマジでこんなこと言ってるのか?
ってなかんじになってしまうと、ダメだな。
加奈崎芳太郎のボーカルは最高だな。
いっこく堂はすばらしいね。
俺もいっこく堂みたいになりたい。
きみまろは、本当におもしろいな。
ケーシーも、あしたひろし順子も、コロッケも。
レッドカーペットで人気のはんにゃやフルポンはいいかんじだね。
だけど、俺のレッドカーペット大賞は、常に、常に、くまだまさし。
実力を見せればいいだけ。ただそれだけ。
それと、丁寧で、おもしろく、良き人間性で生きたいね!
- 2009/02/17(火) 01:40:07|
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無宗教の俺だって祈る時がある。
何に祈るのか?
漠然たる俺の神。
きっといるな。
- 2009/02/09(月) 03:07:05|
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ごめんなさい。
最近はらしくないブログばかりで、しかも更新もしないでねぇ。
やっぱり数出すってのは、才能です。
そして、その中にいいものが少しだけ入っていればいいです。
「欽也」というブログ、しょーもないですけど、自分の経験も多少入っていたので、
書いている自分が泣きながら書いてたんです。
そんなこと、生まれて初めての経験でした。
「お笑い」が書きたくて、みんなが腹抱えながら読むようなブログが書きたいと思って、はじめたのですけど、なんだかアレ以来、ちょっと違うのです。
妙にアノ感覚が欲しくなったり、してね。
それも経験かもですね。
こうやって、普通にブログも書いてもイイかもですね。
ルソーの「エミール」という本、
パスカルの「パンセ」という本。
やっぱりいいですね。
落ち込んだ時ほどいいものです。
人生哲学が、やっぱり一番好きです。
いろんな言い訳があって、その場に立ってみないと人生はわかりませんね。
いいたい一言が、どのような背景があって、その一言があるのか。
それが小説ですね。そう思います。
だから、いいたい一言がないとダメなんですよね。きっと。
「キメの一文があればその小説はいい小説」みたいな主旨のことを開高健が言ったそうです。
そう思います。
誰も知らない「欽也」のね。
仁の気まずい顔を見た時の、僕の認識。
「そのとき、はじめて、僕は、仁が僕の何百倍も悲しいってことを知った」
これがね、言いたかったのです。
そんなこと書いてもしょうがないですね。
よく言うじゃないですか。
人の立場になってモノを考えろって。
そのとき、リアルに本当に考えると、どうして彼が彼女傷つけてしまったのかわかるんですよね。
そんな時があります。
それが小説ですよね。そして真実でもあります。
ああ、同じだなって思う心。
これが一瞬で分かると笑いです。
これが少し時間が必要だとしたら、慈しみです。
エモーションってのは、間一つで笑いや愛になるんですね。
岡本太郎が好きでね。
彼の芸術はわかりません。
だけど、彼の文はわかるというか、見習いたい。
セックスって、愛があるほど気持ちいいって、知ってました?
安部譲二もそう言ってます。
アイヌはいいですね。
ただ、ただいいんです。
人間の精神はちっとも進化してませんね。むしろ退化している。
本居宣長って人知ってます?
「古事記伝」を書いた人です。
ご存じ古事記は、不思議な日本の逸話が書かれてます。
彼はそれを信じたんです。
信じ切った。そう、小林秀雄が言ってました。テープで。
アイヌの民話を信じますか?
不思議なことを信じたんです。本居宣長は。
信じ切った先には何があるんですか?
それが人生。
たまにはいいもんです。
チャゲアンド飛鳥が解散しました。
どうして、かれらがいいのか、僕は考えました。
すると一つの答えが出たのです。
「メロディーとフレーズの一体感」
♪とおくとぉ〜くどこまでもとどく♪万里の河
これはほんとーに遠いなぁ、だけど届く そんな詩とピッタリの旋律です。このフレーズ。
♪あなたの愛をもっとぬくりをもっとあふれるほどに♪男と女
この「もっと」とその旋律これがピッタリ。このフレーズがいいのです。
♪ヤーヤヤーヤヤヤヤー♪yah yah yah
や−という音と、ずっと上を向き続ける旋律。
さらに飛鳥のねぱっこい「なの行」にひっかかる発音がシンクロです。
感動、その一つは間違いなく、間の中一致。
すべてのの雑然とした果てしなく広い精神世界で、
僕と一致してくれた方に感謝です。
ありがとう。
- 2009/02/05(木) 03:55:39|
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Bradley Smith 1968
Mexico a history in art pp.109 doubleday windfall (Mexican museums)セリフはむし虫堂のパロディ
本気か?
自分は本気だろうか?
これは、「本気」という言葉に思い入れがあるからかもしれないが・・・
最近思うこと。
それは、
「本気は一つ」ということだ。
これは、自分の中から生まれた言葉だ。(←コレで言葉の重みが一気に無くなるけどね)
誰かが先に言ったかもしれないが、俺は知らない。
全か無かの法則の「全」が、本気ではないのか。
人間の神経細胞が全か無かの法則で成り立っていることを、高校生物で学んだ。痛みの強さは、その反応する神経細胞の数で決まる・・・それとは違う。
デジタルの1かゼロか・・・それとも違う。
ハンパは、本気ではないよな。
本気なんて、ないのか?
本気、それは生命の危機すら感じる。
本気は怖い。
だけど・・・
本気じゃない人生なんて、つまらないじゃないか。
俺の世代の思春期。いつも、ハンパという自己批判があった世代かもしれん。ツッパリがかっこよくて、ハンパではないということがかっこよくて。
「ハンパじゃねーよ」ってそういえば、最近使わない。
本気か?
いつも、いつもチクリチクリと自分が問いかける。
本気は一つ。
ハンパな大学時代、何度も何度も読んだ詩がある。−−自分達に力がないと云うことを恥じよう−−−(武者小路実篤)
自分達に力がないと云うことを恥じよう。
そんな言い訳をすることを恥じよう。
そんな言い訳をするのは臆病ものだ。
自分達に力はあるのだ。ただ出さないのだ。出すのが怖いからだ。出してまだ見ないのだ。
よし自分達の力が弱かったにしろ、
真心の力は弱くないはずだ。
弱いというのは、精神が足りないからだ。
力はあるのだ、ただ出さないのだ、臆病で出さないのだ。本当に出せば力はあるのだ。
ありながら出さないでいて、力がないというのは恥じようではないか。
自分達はもっと、もっと力があるのだ。ただ出さないのだ。十分には出してみないのだ。
死ぬ覚悟ができていないのだ。生きる覚悟もできていないのだ。まだ本当に目が覚めていないのだ。
力はあるのだが、まだ出し切らないのだ。
臆病から。そしてつまらぬ遠慮から、そして何より怠惰で、事なかれ主義がいけないのだ。
本気になれば、力は出るのだ。恐ろしい力が出るのだ。世界も動くのだ。皆が一致するのだ。
そして力が燃え上がるのだ。
少なくとも、それだけの力が真心にあるということは信じよう。本気さが足りないくせに力がないなぞと云うのを恥じよう。
<中略>
自分達が本気になれば、本気になりきれれば、恐ろしい力、それは誰も手向かえない、恐ろしい力がうまれることを我らはしんじようではないか。
埋もれてはいるが、力はあるのだ。それを生かしきれれば、たいしたことが出来るのだ。
それを信じよう。そして力がない、力がないと言うのはよそうではないか。
それは人間と人類と自然を侮辱しすぎている。本気は怖い。
本気を出すことは怖い。
だけど、本気さのない人生はいやだな。
本気になろうと何度もした。
辛くなって、自分が出てきたら、逃げてしまう。
一度逃げると、たいしたことじゃなくても、逃げてしまう。
だから、もう一度、本気になろうと決心する。
決心してみる。
ここで、本気さとハンパさの間でしか生きられないのかな?っていう
曖昧な結論で文章を終わらすこともできるけど、
アイツと一緒になっちまうから、イヤだ。
本気は一つ。
全か無かの全。
信じるし、できるかどうかやってみるって。くやしいほどに、本気さを感じる人間が最近よくメディア上に登場する。湯浅誠。NPO法人自立生活サポートセンターもやい事務局長。俺と同じ年なんだ。連日の派遣切りのニュースで、NHKもワイドショーもいっぱいだな。
NHKの討論で、彼の意見や質問に何一つちゃんとした答えを出さない、厚生労働副大臣大村ナントカと、経営者側の立場で出ていた証券会社のシンクタンク研究所のナントカがいたよ。あと、いろんな討論会で、彼の論理に便乗して、自民党や経営者を批判するヤツがいたけど、雑音はよせ!と言いたかった。湯浅氏の話が聞きたいんだよ。
右も左もない反貧困。彼に本気さを感じる。少なくとも、彼を論破できる政治家はそういない。というか、政治家にはいないと思う。担当官僚、厚生労働省事務次官、厚生労働大臣、内閣総理大臣のそろいぶみで、まず彼の意見に耳を傾けてみてはどーだろう。
テキトーなワイドショー見て、「恥を知りなさい」とか「自己責任」とか「スキルアップ」とか「義務も果たさずに要望ばかり」とか批判するのはよして、まずはボランティアで苦しい立場の人とひらばで向かい合っている彼の声に耳を傾けてみようじゃないか。
結論はその後でも遅くはない。
ボランティアで本気。これが一番手強い。本気はすくなくとも手強い。
「そんなもん、ボランティアにでもやらせれば」って死んでも言えない。でもね、コレを言う人って本当に多いと思う。
ボランティアをなめるなよ。
ちなみに、冒頭の画像は古代メキシコの芸術品なのだが、全力を出しきった男の図のような気がしたので。
おまけ
http://montagekijyo.blogspot.com/2008/05/blog-post_24.htmlテーマ:お笑いを愛する人の日常日記 - ジャンル:お笑い
- 2009/01/07(水) 01:05:07|
- <哀笑>読み切りエッセイ(エッセイ)
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